成田山の厄除け

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厄除けと節分

節分の日になぜ厄除けをするのか

 厄除けの習俗が節分の日に多いのは、その翌日が立春だからです。
 現代はお正月を太陽暦で祝っているため、季節感が少しズレてしまっていますが、年賀状に「新春」だとか、「迎春」、「初春」などと書くのは、過去、陰暦を使う時代の、こうした正月を迎える気分が残っているからなのです。
 すなわち、毎年、春を迎えることは、私たちの祖先にとって、正月を迎えることであり、同時に新年の神様を向かえることでもあるでしょう。
そのため、厄除けがその日に発展しました。
 また正月に与える「お年玉」は、もともとはこの年神の魂の事を意味していたそうです。 仙台成田山で厄除けをされてはいかがでしょうか。

節分の由来と厄除け

 節分という言葉は、漢字のもつ意味からいうと、”季節が分かれるとき”という意味です。本来は立春、立夏、立秋、立冬はいうまでもなく春秋のお彼岸、八十八夜、入梅、土用、二百十日、お節句、七夕、中元など、すべて節分といいます。
 明治5(1872)年になってから、明治政府は旧暦を廃止し、現在使われている太陽暦を採用しました。12月3日をもって明治6年元旦とすることに定めるのです。
このときも節分より早く元旦を迎えるので、庶民は大いに困惑したと伝えられています。
 立春には「立春大吉日」と書いているお札を門戸に貼る習俗があります。
もともとは中国から伝えられた習俗ですが、わが国でも広く行われるようになりました。
春を迎えるにあたって、冬の邪険を払って新しい年の福を希(願)うことから、いろいろな習俗が生まれるのです。

節分「悪の鬼」と「福の鬼」と厄除け

 現在では鬼は節分のイメージが強いですが、日本人にとってどのような意味をもっていたのでしょうか。ごく簡単に歴史をふりかえってみましょう。
『日本書記』斉明天皇7年(661年)8月には、大笠をかぶった鬼が天皇の御大葬をのぞき見ているという記述があります。
何となく不気味ではありますが、人間に危害を加えるものではありません。
鬼が人里に現れて暴れだすのは、奈良時代に入ってからのことです。
平安時代に書かれた『日本霊異記』や『今昔物語』などには、行きどころのない横死者、祀られない霊といった死霊・怨霊が鬼となって、その場所を訪れた人間を食べてしまうといった、死霊・怨霊のタタリの存在が説かれています。
ところが室町時代の『御伽草子』になりますと、恐ろしい鬼の面影はなく、ユーモラスで逆に人に恵をもたらすという鬼が登場します。
たとえば『一寸法師』では、一口でオニに飲み込まれてしまった一寸法師が腰に差した針の刀を抜いて腹を突きまくると、降伏します。
慌てたオニは望み物を何でも打ち出すことのでいる「打ち出の小槌」をおいて逃げてしまいます。
 姫君が小槌を振ると、一寸法師はたちまち一人前の若武者になり、金銀財宝を打ち出し、姫君と結ばれてハッピーエンドとなるといったストーリーです。
 年中行事の上からみてみますと、「幸せをもたらす鬼」が登場するのは、大分県国東(くにさき)の六御満山(ろくごうまんざん)で営まれる「修正鬼会(しゅしょうおにえ)」があります。
招福的なオニの性格は、このほかに秋田県のナマハゲや薩南屋久島の甑島(こしきじま)のトシノカミ、沖縄八重山の赤マタ・黒マタなどがあります。
このように、オニには「恐ろしい鬼」と「幸せをもたらす鬼」の二種類が存在することがわかります。このことを反映して、節分に登場する鬼も二種類あることになります。

厄除け節分で何を願うのか

 節分のときの常套句といえば「福は内、鬼は外」。
さてそのとき人々は、具体的になにを思い描いて「福」「鬼」という言葉を使っているのでしょうか?
厄除節分の日にちなんで、全国の人にアンケートの調査結果によると、節分で来てほしい「福」の人気ナンバーワンは、お金と宝くじの当り券。
以下は健康、結婚・恋愛の順になっていました。
 一方、厄除で出て行ってほしい「鬼」は、1位が病気、2位が借金やローン、3位がナマケ癖や悪い性格というものでした。
 お金と健康と精神的充足の3つとは、バランスのいい結果が表れたといえるでしょう。

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