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厄除け節分豆まきの豆

厄除けと節分の豆

 節分に使う厄除け豆は、なぜ大豆なのでしょうか。
篠田統氏によれば、大豆は中国伝来であり、原産地は満州で、中国本土へは紀元前7〜8世紀ごろ移入され、日本へは朝鮮半島を経て伝来したそうです。
しかし『古事記』や『日本書紀』などから推定すると、新渡来の作物として、五穀の中では最も下の席しか与えられなかったのでしたが、大陸ではさかんな生命力をもつため重要視され、呪術的に使用されだしました。
 中国最古の医書である『本草』に「鬼毒を殺し、痛みを止める」とあり、江南地方では、冬至に厄払いのために小豆粥を炊いたということが6世紀初頭の書にみえ、中国南部では小豆が大豆と同様呪術的に目的で使用されたらしいのです。
それが北方の漢人文化が中国文化の主流となるにつれて、小豆を使っていた地方も大豆を使うようになったと考えられるようになったのでは、というのです。
 わが国の豆まきも、つまりは大豆を呪術に使った漢民族の古風をいまに伝えたものということになります。
 こうした厄除け節分・年越し・厄除け鬼追い・厄除けなどは泣き笑いの年の暮れを彩るものとしては、格好な道具だてでした。
西鶴も「一とせ大晦日に節分ありて・・・大豆(まめ)うつ音まことにくらがりに鬼つなぐとは今宵なるべし」「節分大豆(まめ)をも福は内にと随分うつかひもなく」「年越しの夜に入てちいさき窓も世間並みに鰯の首(かしら)柊をさして。
目に見えぬ鬼に恐れて心祝ひの豆うちはやしける」「節分の煎大豆(いりまめ)のあまりに黒米すこし手もとに置て」などと書いており、江戸時代にはとくに所見が多いようです。
 またこれをしまっておいて、初雷の日にまじないとして食べたり、京都将軍の代には2月の初午の日に献上したといわれております。
 なお近世では厄除け節分の夜にとなえる鬼よけの呪文というのがありまして、「やつかがしも候、ながながも候、隣のおばばのおへへのくささが、ふふらふんのふん」と笑わずに言うのです。
これに類似した呪文は各地にあり、豆を炒るときや豆がらを門口に立てるときなどにいっていました。

節分の豆はなぜ一つ多く食べるのでしょうか

 厄除節分といえば「2月の豆まきの日(やくよけ節分)」のことですが、本来これは四季の移り変わりの前日を意味します。
 ですから、立春・立夏・立秋・立冬のすべての前日が、節分というのです。
しかし、そのなかでも、眠りの冬から目覚めの春への移り変わりこそが最も大切な境目であり、特にこの日、厄除け節分行事が定着したのです。
 厄除節分は、家の中の邪気をはらい、福を招くために豆まきをするわけですが、なぜ「まめ」なのでしょうか。
それは、「まめ」が米とともに日本人の食生活で重要視されてきたものであり、また「まめにコツコツ働く」という語呂合わせの意味もあることからでしょう。
 この豆、厄除け節分の日には自分の年齢より一つ多い数を食べると、たいへん縁起がよいと言われます。
もともとは、厄除け節分の厄年の人が早くその年から逃れるために、わざと一歳多く食べたのだそうです。
 それから、他の年齢の人も「難儀なく一年を越してしまえるように」と願って、一つ多く食べるようになったと言われています。

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